SLOTH-STUDIO

【スロウスタジオ】雑記、音楽、ゲーム、フトアゴヒゲトカゲ etc…/このサイトは広告・アフィリエイトを含みます

“マダムから聞いた謎”の答え/磐座デビュー

   

志賀海神社の本殿

2024年11月8日。約半年前に「志賀海神社」境内で見知らぬマダムから聞いた謎を解決するため、再び「志賀海神社」までサイクリングに行ってきた。

■参考→出雲とゆかりのある”何か”が志賀海神社にあると聞いて

この日は快晴で気温もちょうどよく、絶好の自転車日和!…ではあったのだが、道中はほとんど向かい風。それゆえに今回は往路の時点ですでに太ももが超疲労(ほんの少しの上り坂で足に力が入らなくなるレベル)。日頃の運動不足のせいもあり、終始ペダルが重い重いサイクリングとなった。

冒頭の“マダムから聞いた謎”というのは、「境内に入って右手に、島根(出雲)ゆかりのものがあるって聞いたんだけど知ってます?」というもの。そんな話は聞いたことがなかったし、調べてもそれらしき情報は何も出てこないのでずっと気になっていたのだ。

結論「出雲とのゆかりのものはない」

亀石 遥拝所。この日はハトやカラスのようなノリで、たくさんのトンビが飛んでいた

今回のサイクリングの目的は、“マダムから聞いた謎”について「志賀海神社」の神職の方にお聞きすること。御朱印をいただく際にそれとなく質問したところ、「そういうものはない」という回答をいただいた。

えっ、ないんですか?そりゃあネットにも情報がないわけだ。

その代わりに(というわけではないだろうけど)、「出雲にゆかりのあるものはないが、穂高神社とは繋がりがある。大昔にこっち(志賀海神社)からあっち(穂高神社)に人が行ったと聞いている。穂高神社の人が、“祖神(おやがみ)様だから”と志賀海神社に毎年参拝に来られる」ということを教えてくれた。

遥拝所の近くにあった大きな石。前に来たときもあったっけ?

筆者の足と比べるとこんなサイズ感。このあと巨石を拝みに行くことがバレていた…?

なぜか1か所にまとめられていたドングリ

「穂高神社」と阿曇氏の関係

「穂高神社」(長野県安曇野市穂高6079)の公式サイトを見てみると以下の記述がある。

穂高見命は海神(わたつみ)族の祖神(おやがみ)であり、その後裔(こうえい)である安曇族は北九州方面に栄え主として海運を司り、早くより大陸方面と交流し文化の高い氏族であったようです。

穗髙神社について|穗髙神社|https://www.hotakajinja.com/about.html

神職の方の話を踏まえると、ここにある「安曇(あずみ)族」というのは、「志賀海神社」で代々宮司を務める「阿曇(あずみ)氏」の祖先と同一と見て間違いないだろう。

また「穂高神社」では、内陸部にもかかわらず大きな船を用いるお祭り「御船祭」が行われているという。この祭りに関して、安曇野市の公式サイトに以下の記述がある。

一説によると御船祭りは、7世紀中ごろに活躍した武将・安曇比羅夫が天智天皇の命令で朝鮮半島に出兵し、白村江で戦死したことを追悼する祭りとして始まったともいわれます。確認できる最も古い記録として、江戸時代中ごろの古文書に「往古より(大昔から)船を2艘出していた」という記述があることから、穂高神社での御船祭りの始まりは江戸時代半ばよりも前であることは確実です。

穂高神社のお船祭り |安曇野市公式ホームページ|https://www.city.azumino.nagano.jp/site/mizumonogatari/2489.html

祭りの起源ははっきりしていない様子。いずれにせよ、両者の関係を探るうえでのポイントは、「山なのに船」ということと、「穂高神社」の所在地名が「安曇野(あずみの)」という部分だろう。海人族である「阿曇氏」は磐井の乱の後に全国へ散らばった、とどこかで読んだ記憶がある。長野県にたどり着いたのもその頃(その流れ)なのか。

「志賀海神社」と「穂高神社」の関係は有名な話で、学び始めたばかりのにわか者な私でもなんとなくは知っていた。が、今回は神社関係者から直接その話を聞けた!ということに意味があったとしたい。

志賀海神社境外摂社「大嶽神社」

大嶽神社の鳥居

約半年間抱えていたモヤモヤが晴れたその帰り道、「志賀海神社」の境外摂社である「大嶽神社」(福岡市東区大岳3-24-10)に立ち寄った。

実は前回の「志賀海神社」へのサイクリング時に寄るつもりだったのだが、曲がるべきところをうっかり直進してしまい参拝しそこねていたのだ。今回は往路の時点で曲がるべき場所がどこか、しっかり確認していたので問題なし。ただ、そのあとが問題だった。

本殿は山の上にあり、参拝するには長〜い階段を登る必要がある。これは後日ネットで得た情報だが、この長〜い階段は109段あるらしい。急勾配な石積の階段は幅(奥行き?)もまばら。ただでさえ登りづらいこの階段を、すでに悲鳴を上げている太ももで登らなければならないのだ。

木製の朽ちた赤い鳥居をいくつかくぐった先に“長〜い階段”がある

正直これはハードだなあ、と感じつつも「いやいやこれも修行!」と自分に言い聞かせてなんとか登り、無事に参拝することができた。

大嶽神社の本殿

 

本殿建て替えにあたって寄付を募る看板。御祭神などについても書かれている

余談。神社にはどうしてこういった南国な木があるのか。もしかして九州だけ?

御祭神は、風の神様である「志那津比古(しなつひこ)神」「志那津比売(しなつひめ)神」、神功皇后の家来としても活躍した「大浜宿禰(おおはまのすくね)」、元禄年間に伏見稲荷大社より勧請し合祀するようになった「保食神(うけもちのかみ)」。なるほど、だから赤い鳥居があるのね。

偶然にもこの日の午前中に、大嶽神社の祭典「鞴祭(ふいごさい)」が催行されていたようだ。だからなのか、授け所は空いていたのだが神職の方の姿が見えず。

風の神様のお祭り…。まさか、この日やたらと風が強かったのは伏線だった…?サイクリング中のあの向かい風との因果関係をつい考えてしまう。

初めての磐座見学

本殿裏の磐座

お参りを済ませて、本殿の裏にある磐座(いわくら)を拝む。見たことのないサイズの巨石で、近くから見るとその表面の質感に年月を感じる。こういうものは実物を見ないとわからないなー、と現地に赴くことの大切さを実感。余談だがこれが私の磐座デビューである。

周囲にも大岩が多数見つかっていることから、ここは古墳だったのではないかという説もあるのだそう。足元を見ると岩っぽい地肌が見えるので、この土地(山)自体が大岩なのかもしれない。

本殿裏以外にもいくつかの巨岩を見かけた。この場所は大嶽神社という名前がつくずっと昔から特別な場所だったんだろう。

地面は土というより石(岩)のような質感

境内に入ってすぐ右にある空き地(?)にあった巨石

参拝と散策が終わり、再びあの長〜い階段とご対面。疲労マックスの太ももにもうひと頑張りしてもらい、予定より1時間押しとなったが無事に帰宅。予期せぬ疲労に襲われつつも、目的を果たせた満足のサイクリングとなった。次回の「志賀海神社」方面へのサイクリングは来年、春先になってからかなあ。

 

この翌週、私は九州を飛び出して、もっともっと大きな磐座を拝むこととなる。

 - 雑記 , ,