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筥崎宮と大分八幡宮と宇佐神宮

   

▲「筥崎宮」の楼門(2025年1月撮影)

年も明けたし心機一転、身近なところから日本神話に触れていこう。…ということで、日本三大八幡宮に数えられることもある「筥崎宮」。延長元年(西暦923年)に筑前の「大分宮(穂波宮)」より遷座したことになっている。

ちょっと前までこの「大分宮(穂波宮)」のことを、八幡宮ということで勝手に「大分県の神社=宇佐神宮」と思っていたのだけど、改めて調べてみるとそれは大きな勘違いで、実際は福岡県飯塚市にある「大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)」のことであることに気がついた。

「大分八幡宮」の御祭神

「筥崎宮」の元宮である「大分八幡宮」は奈良時代(神亀3年、西暦726年)創建とされていて、御祭神は「筥崎宮」と同じく「八幡神(応神天皇)・神功皇后・玉依姫命」。

ただし、飯塚市観光ポータルサイトには「応神天皇・神功皇后・竃門山神」と書いてある。「竃門山神」がよくわからなかったので検索してみると、どうやらイコール玉依姫命。

天武天皇二年(673)、開山心蓮上人が山中で修行中、にわかに山谷震動して貴婦人が現れ、「われはこれ玉依姫の霊、現国を守り、民を鎮護せんために、この山中に居すること年久し。」などと告げ、金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行しました。

【引用】竈門神社 公式サイト|https://kamadojinja.or.jp/history/

太宰府の霊山・宝満山(別名「竈門山」)の「竈門神社」の御祭神は玉依姫命。竈門山の神、なるほど。

「八幡宇佐宮御託宣集」の記述

▲筥崎宮と大分八幡宮と宇佐神宮の位置関係

宇佐神宮の縁起書「八幡宇佐宮御託宣集」にこんなことが書かれている。

延喜二十一年六月一日、筥崎神託す。我が宇佐宮よりは、穂浪大分宮は我の本宮なり去る二十日辰時を以て、来り着く。今日巳時を以て、爰に来る所なり。其の故は、香椎宮は我が母堂、住吉宮は我が親父なり。我が幼少の当初、志賀嶋を点住して、これに跡づく所なり。夷類を征伐せしむる後、吾出生の時、号を崇めらるべし。我が先の世に、三箇所に居住せしむべき由、所々に有りと雖も、先の世に天下国土を鎮護し始めし時に、戒定恵の筥を納め置く。埋むる所は、彼の父母両所の敷地の中間に、松一本を殖うる、巳に其の璽なり。適生土の上へ、彼の所に居住せしめんと欲ふなりてへり。

【引用】八幡宇佐宮御託宣集

八幡宮の総本宮である「宇佐神宮」の本宮が「大分八幡宮」ってこと?公式サイトによると「大分八幡宮」の創建が726年に対し、「宇佐神宮」の創建は725年で1年早いけれど。

 

「香椎宮は我が母堂、住吉宮は我が親父なり」というのも気になる。母堂=他人の母に対する敬称。「香椎宮」の御祭神は仲哀天皇、神功皇后なのだけど、応神天皇からすればこの2人は他人ではないはず。なのに母堂?

「住吉宮」が筑前國一之宮「住吉神社」のことだとして、それが親父?志賀嶋(志賀島)も出てくるし、八幡神は海人族と関係があるということか。

…これ、調べてみると福岡県久留米市の高良大社に伝わる演技書「高良玉垂宮神秘書」というものに、「三男の月神・底筒男の尊は神功皇后と夫婦になった」と書かれているんだとか。じゃあ「親父」じゃん。

…でも仲哀天皇は?…あれ、さっき母堂って言ってたけどそれは…。

 

「夷類(=未開人、異民族)を征伐せしむる」は、あとに「後、吾出生の時」と続くので三韓征伐のことで間違いないかと。

「先の世に天下国土を鎮護し始めし時に、戒定恵の筥を納め置く。埋むる所は、彼の父母両所の敷地の中間に、松一本を殖うる」からは「筥崎宮」の筥松を連想する。「筥崎宮」は父(住吉神社)と母(香椎宮)のちょうど中間地点にあるし。

▲「筥崎宮」の筥松(2025年1月撮影)

▲「筥崎宮」と「香椎宮」と「住吉神社」の位置関係

「戒定恵(かいじょうえ)」は仏教用語で、悪を止める「戒」、心の平静を得る「定」、真実を悟る「慧」のこと。神仏習合のにほひ。

楼門そばの朱の玉垣で囲まれた松は「標(しるし)の松」とも呼ばれる神木です。応神天皇がお生まれになったときの御枹衣(胎盤 ・へその緒)を筥に納めて白砂青松の清浄なる岬に埋め奉り、標に松を植え「筥松」と名付けられて以後、筥松のある岬(崎)ということで「筥崎」の名が起こったと伝わっている。「筥」の文字は天皇様に由来し畏れ多いとして、人々の営みの場には「箱」の文字を用いた。

【引用】筥崎宮 公式サイト|https://www.hakozakigu.or.jp/keidai/

「八幡宇佐宮御託宣集」と照らし合わせると、「胎盤とへその緒=戒定恵」ということになる。

こんがらがってきた…

「大分八幡宮」のことを調べるうちに「宇佐神宮」とつながり、やがて八幡神ではない「住吉神社」まで出てきてわけがわからない。なんとなく調べ始めたら迷宮だ。近所を散歩し始めてみただけなのに…。

去年始めた「瀬織津姫に会いに行く」旅は、進めるうちに「神功皇后に会いに行く」旅の側面もあることに気付かされた。もっと情報を整理しよう。現地にも行こう。まずは「筥崎宮」の本宮「大分八幡宮」からだな。

「宇佐神宮」はこれ以上に、はちゃめちゃに謎が深いからまだ寝かせる。

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