【夢日記】親の死、靴下の履き間違い

夢日記

※2025年5月15日の夜〜5月16日の朝にかけて見た夢…

親の死、靴下の履き間違い

痴呆症が始まっていた祖母の引っ越しを手伝うため、両親と一緒に祖母の家に向かっていた。本来は両親のみで向かう予定だったのだが、仕事の都合がついたので私も同行できることに。
道中、「一緒に行けてよかった」という思いが頭によぎった。
その日の夜、父と母が亡くなったことを聞かされる。誰に聞かされたのか、原因は何なのかは覚えていない。
ふたりとも60オーバーだから何があってもおかしくないとは思っていたが、それにしても早すぎるし、何より急すぎる。
葬式の日。喪服を着た私と妻は自宅ではない場所から徒歩で葬儀の会場に向かっていた。会場の建物が見える。夢のなかの私はその建物を見て、「あれはたしか商業ビルだったはず…」と感じていた。
建物の裏口らしき場所で立ち話をしている男性数人(みんなスーツ姿、というか喪服姿?)を見て、自分が白い靴下を履いていることに気づく。
私は焦って、妻に「ごめん、靴下を取り替えてくる!」と伝え、自宅ではない場所へ走って戻ろうとした。

解説

最初に書いておきたいのだが、現実世界の両親は健在で、祖母は数年前になくなっている。亡くなる数年前からボケも始まっていた。
祖母の家は実家の隣県にあったのだが、夢のなかでもどうやらそこに向かっていたらしい。
道中に「同行できてよかった」と感じたのは、その後の展開を直感で予見していたのかもしれない。
現実世界の妻はコロナ後遺症の影響で歩くときは杖が必須だが、夢のなかの妻は杖なしで歩いていた。

Chat GPTに夢日記を解説してもらった

夢に込められていそうな意味(要約)

この夢は、

  • 家族との関係性の再確認

  • 死別や老いに対する不安

  • 喪失と準備ができていない感覚

  • 「きちんとしていたい」気持ちと焦り
    を象徴しているように見えます。

シーンごとの象徴と意味の解釈

①「祖母の引っ越しを手伝うために両親と向かう」

  • 祖母=過去や記憶、老いの象徴
     → 祖母の引っ越しは、「過去との別れ」や「世代交代」を象徴している可能性があります。

  • 本来は両親だけの予定だったが自分も同行できた
     → 家族に対する責任感や、「もっと一緒にいたい」という無意識の願望が表れているかもしれません。

  • 「一緒に行けてよかった」という思い
     → 実際のご両親との関係が良好であり、「できるうちに一緒にいたい」という気持ちが夢に出ている可能性があります。

②「両親が亡くなったと知らされる」

  • 死は変化や切り替えの象徴
     → ご両親との関係性に何らかの「段階の変化」があることを示唆しているかもしれません(実際の死ではなく、精神的な独立や役割の転換など)。

  • 原因がわからない、突然だった
     → 喪失や老いに対して「自分はまだ準備ができていない」という不安がある可能性。

  • 60代という具体的な年齢の言及
     → 「親ももう若くない」というリアルな気づきが、潜在意識にあると考えられます。

③「葬儀の場面」

  • 妻と並んで歩いている
     → 人生のパートナーと共に困難に向き合う覚悟や安心感を表している可能性あり。

  • 杖なしで歩いている妻
     → 「夢のなかでは自由であってほしい」というあなたの願望や、「元気だったころの妻」のイメージが残っているとも取れます。

  • 商業ビルのような会場、裏口、スーツ姿の男たち
     → 喪失の儀式(葬儀)が「どこか現実味を欠いている」「形式ばったものに感じられる」ことへの違和感や、社会的・儀礼的な場に対する不安感を表しているかもしれません。

④「白い靴下に気づいて焦る」

  • 白い靴下=場にそぐわない服装(礼儀の乱れ)
     → 「準備不足」や「ちゃんとしていたいのにできていない」という心理。

  • 慌てて戻ろうとする
     → 「何かをやり直したい」「きちんと整えて再び向き合いたい」という内面的な焦燥感を示している可能性があります。

全体のテーマ

この夢には、「家族の老いや死」という現実的な不安と、それにどう向き合うかというあなた自身の姿勢や心の揺れが投影されているようです。

特に印象的なのは:

  • 「一緒に行けてよかった」→「でも、もう遅かった」
     → 「もっと何かしておけばよかった」という後悔や、将来への予感のようなもの。

  • 靴下を取り替えに行く
     → 「せめて、今からでも整えておきたい」という想い。

夢があなたに伝えているかもしれないこと

  • 家族との時間を今のうちに大事にしたいという気持ち

  • 大切な人の変化や衰えに対して無力さや不安を感じている

  • 人生のなかで自分の役割が変わりつつあることへの気づき(たとえば「子ども」から「支える側」へ)

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