【きになってるてんらんかい】→【いなたいみゅーじっく】
楽器の演奏技術が高いわけでもないし、かといって歌が上手いわけでもなければ素晴らしい編集技術があるわけでもない。そんな人間が作る音楽は、必然的に「いなたいミュージック」を目指すようになるのです。
・・と書いてみたけれど、当人にはそんな意識はございません。ここ数ヶ月は仕事だー、病院だーって誰にするでもない言い訳をしてしまうくらい音楽を作っていないのですが、改めて自分の作ってきた音楽を振り返ってみると、特に近年のものについてはこの「いなたいミュージック」感がすごく出ているように思います。
一番のきっかけは「すずめにエサやり」でしょう。
この曲は、妻の実家に帰ったとき、おじいちゃんとおばあちゃんが嬉しそうに話してくれた「最近すずめにエサをあげている」というエピソードを元に作ったもので、聞いていただくとわかるように、まーユルいです。
このユルさは意図的なものではなく、なんとなく作っていった結果の産物。いわゆるオマケみたいなものなんですが、私はこのオマケのほうに本質を感じてしまったわけですね。それでこの曲以降は、そのオマケの部分に重きを置いた音楽を作るようになりました。
で、いまさらですが「いなたい」って言葉の意味はこんな感じです。
いなたいとはミュージシャンの間で「泥臭い」「ブルージー」さらに「へたうま」といったニュアンスで使われる言葉である。関西のミュージシャンや音楽ファンを中心に良い意味での田舎臭さを表現したいなたいだが、音楽関係以外の若者に普及する中で「パッとしない」「ダサい」など悪い意味での田舎臭いというニュアンスでも使われるようになる(更に「くだらない」と同義にも使われる)。いなたいの語源については「田舎」に形容詞化する接尾語「い」をつけ、音が変化したとする説と「田舎」と「野暮ったい」の合成語という説があるが、もともと「野暮ったい」といった悪い意味の言葉ではなかったことから、前者が有力と思われる。
※「日本語俗語辞書」より
キース・リチャーズのギターとか、ボブ・ディランのギターソロとか、酒のまわった高田渡の歌とか、私はおおむね「へたうま=味がある」といったものとして解釈してます。
どうして「いなたさ」が気にかかるのかというと、自分にはエリック・クラプトンのようなギター演奏やマイケル・ジャクソンのような歌唱はできないからなんです。つまるところは上手じゃないから、というだけの話。それを味って言ってしまえばこっちのもんですからね。そこを「個性」というわけです。
辺境の日曜音楽家。フトアゴとレオパ。鈴木絢音さん推し。※ゲーム実況はやっていません|https://lit.link/lrfr