今日は全国的に冷え込み、関東のほうではどうやら雪がすごいらしい。こちらは九州・福岡だから、寒いだけで雪は降っていないんですけどね。・・あ、明日の午後は雪の予報になってる。。
というわけで今日は「雪」に関するあれこれと銘打って、「雪」という漢字の成り立ちと、「雪だるま」について調べてみます。
目次
「雪」という漢字の成り立ちについて調べてみた
なぜ「雨」+「ヨ」=「雪」なのか
「雨よー」と書いて「雪」とはこれいかに。。
「雨って言ったのに、降ってるのは雪じゃねえか」とか、発音だけなら落語でこんなやりとりがあってもおかしくなさそうですが。
どうやらこの「ヨ」とは、彗星の「彗」の文字を表したものだそうです。
もともと「雪」という漢字は、空から降ってくる雫を表す「雨」かんむりの下に「彗」と書いていたらしく、つまり「ヨ」は「彗」を簡略化したもの。
「彗」は訓読みで「ほうき」なので、要約すると「雪=ほうきで掃ける雨」となるわけですね。
昔の人の雪に対する感覚がなんとなく伝わって来ますねー。
この漢字を作った人は絶対に北国出身ではないことは確信できます。
「雪だるま」について調べてみた
「スノーマン」は450年前には存在していた!?
そこそこの量が雪が降ったら、つい作りたくなっちゃう「雪だるま」。
雪だるまつくーろー、、、でもこれっていつから?
ウィキペディアの「雪だるま」の項目には以下のように書かれています。
ハーグ王立図書館蔵の時祷書(1380年頃)には、欄外には雪だるまが描かれており、これが現在知られている最古の視覚史料であるという
時祷書(じとうしょ)というのは、ローマ・カトリック教会のキリスト教徒向けに作られた写本のこと。
挿絵付きで祈祷文や詩篇などが書かれているそうで、そこに雪だるまが描かれていると。
気になってPinterestで検索してみると、なんと一発で出てきました。
ピン元のサイトには「黒っぽい裏の雪だるま。1380年から数時間の書籍に掲載されている、これは雪だるまの最も初期に知られたイメージです。(googleの自動翻訳)」とあるので、たぶんこれでしょう。
海外の雪だるま、もといスノーマンって3段が多い気がするのですが、この時点で既にもう3段。
たぶん「スノーマン=雪の人」ということで、きっとリアリティを追求した結果の3段(顔・上半身・下半身)なんでしょう。
・・ところでこのスノーマンの下に描いてある鉢みたいな、鍋みたいなのはいったい何なんでしょうか。
火がついてるように見えるんですが、もしかしてスノーマンを溶かしてるんでしょうか?(スノーマンはバーベキュー台みたいなのに乗ってるし)
それで心なしか、困った表情をしてるんでしょうか。
お客様の中にこの真相についてご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
あの浮世絵師も「雪だるま」を描いていた!?
じゃあ日本の雪だるま文化はどうなのかって話ですが。
江戸後期に描かれた浮世絵に雪だるまが登場しているようです。
こちらは、浮世絵師・歌川広景(生没年不詳)が1855年ごろに描いたとされる「江戸名所道戯尽 廿二 御蔵前の雪」。
あ、完全にだるまだ。
誰も見てないところで「ぬーーん」とか言ってそうな、ちょっとすっとぼけた表情。
下駄の鼻緒が切れちゃってるじゃないか、どうしてくれるんだ。。
よくみてみると、雪だるまの口のあたりにはお供え物らしきものが置かれているようです。
いずれにしても鼻緒が切れちゃあ下駄が履けねえ。
他の作品を見てみても、やっぱり雪「だるま」。
なんというか、歌川系列は雪だるまが好きだったんですね。
2段という江戸時代の雪だるま的な全体像を持ちながら、バケツの帽子をかぶったり、木の棒と手袋を装着していたりする現代のジャパニーズ雪だるまは、もはや日本の固有種ではなく、スノーマンとの合いの子状態なことがわかります。
まとめ
どうして江戸後期に雪だるまが誕生した(というか浮世絵に描かれ始めた)のか、そもそもどうして「だるま」なのか。
その理由に直接関係するかはわかりませんが、どうもこの時期は世界的に寒かったらしいです。
1822年2月22日には江戸・品川で2メートルの積雪が記録されているとか。
願掛けとしてのだるま文化は江戸時代に始まったとされています。
基本的には当時からだるま=赤色だったそうですが、縁起良く紅白でそろえるために白いだるまも存在していたとか。
もしかすると、白い雪だるまは、寒い冬を無事に乗り切れるようにという願いを込めて作られていたのかも?
辺境の日曜音楽家。フトアゴとレオパ。鈴木絢音さん推し。※ゲーム実況はやっていません|https://lit.link/lrfr