SLOTH-STUDIO

【スロウスタジオ】雑記、音楽、ゲーム、フトアゴヒゲトカゲ etc…/このサイトは広告・アフィリエイトを含みます

ある文字が踊っていることに気がついた

   

数日ほど前から、外出すると目(まぶた)が重く感じて、そこから軽く頭痛が起きたりもしている。鼻のむずむずとかはないけれど、「これはもしかして…ついに花粉症が発症したか…?」と思ってひとまず眼科へ行ってきた。結果としては若干のアレルギー反応はあれど花粉症かどうかはわからず、ただし確定でドライアイとのことで眼精疲労の改善のためのものとで計3種類の目薬を処方してもらった。軽減するといいなあ。

ほしい本があったので、眼科の近くにある書店に立ち寄った。そこでふと、目に付く本という本の表紙に「老」と「死」の文字が踊っていることに気がついた。

確かに去年の後半あたりから「おっさんになったなあ」とか「老いてきたなあ」と自覚するようになってきていて、なんとなくそっちに引かれて近づいていることは察していたし意識してそうしていた部分もあったのだけど、今日、書店で目に飛び込んできたそういった光景に対して、なんだかとてつもない嫌悪感がゾワゾワゾワ〜と湧いて出てきたのである。何の前触れもなく。

これはもしかすると見えない何か、もしくはなんだ、陰謀とか思惑とか時代とか国とか悪魔とか権力者とか世の流れとか空気とか雰囲気とか、あるいはそれ以外の今パッと思いつかないようなサムシングが自分をそっちに引きずり込もうとしているんじゃないか。

…と書くと心配されてしまうかもしれないけれど、そんな感じでうまく言葉にならない不思議で複雑で好きになれない感情のようなものがグワッと自分のなかで嵐になり、寒気に襲われ、気持ち悪いと思ってしまった。とにかく、ちゃんと説明ができないけれど、すごく端的にいってしまえば「このままでは殺される」と感じたのだ。

ということで、とりあえず今日から「老」とか「死」といった言葉とは意識して距離を取ることにした。そういった漢字が表紙に書かれている本は手に取らないし、近づかないし、視界にもなるべく入れない(これは難しい…)。そしてそもそも、自分はまだ本当は老い始めてなどいないし、成長ができるし、何より自分の進んでいる道には先があって光があると前向きに考え直すことにした。

昨年の夏に新型コロナウイルスに倒れた妻は、今も相変わらず後遺症による倦怠感と疲れやすさと心の不安定に悩まされていて、以前の日常生活すら取り戻すことができていない。1時間後、いや30分後の自分の体調の変化も読めない国民に対する保証が足りないよね、という話はまたどこかで書くとして…。そんな状況だから、自分がしっかりしていないと今の生活が壊れてしまう。ここで自分が壊れていてはいけないし、そんなことはあってはならない。なんとしても家族を、半径数メートルの世界を守らないといけない。身近のことで手一杯だ。

最近、ちょっと負の側に引きずり込まれている。そんな気配がする。無意識に細野晴臣さんの『はらいそ』『メディスン・コンピレーション』を再生・リピートし続けているのが何よりの証拠だ(自分調べ)。…誤解のないように書いておくけど、この2枚は決して悪くない。むしろやばくなった自分を助けてくれた音楽だ。大げさでもなく、かつて命を救ってくれた音楽。聞いている人がみんな負の側に引きずられている人ではないことだけは、誤解のないように書いておきたい。

気を確かに。オカルトが這い寄ってくる。朝日を浴びよう。こういうときはメディスンを手に。体を動かし、美味いものを食べよう。

 - 雑記