※2025年2月14日の夜〜15日の朝にかけて見た夢…
深夜と夜明けの間に目が覚めて。
ふと目が覚めたがまだ窓の外は暗い。もうひと眠りしようかと思ったが、遠くから太鼓と笛の音、祭り囃子のような音が聞こえてきた。歩いていける範囲の距離のどこかで行われているらしい。たぶん隣駅の地域だろう。
深夜と早朝の間の時間。電車はまだ動き出していない。なぜか僕は「歩いて祭りを見に行こう」と家を出た。
その祭りは「チャンコロ祭り」と呼ばれていて、地域住民が鬼のような(鬼ではない)土着の妖怪のような姿に仮装し、町内の地区ごとに、スタート地点からゴール地点までを走って速さを競うというもの。その様子は日本の田舎のような、なまはげのような、 東南アジアの祭りのような。個人レースというのものも独特だ。
小雨が降るなか歩いていくと、簡易的な木製のお立ち台のようなもの(四隅に柱が立っていて屋根が付いている) があった。
しばらくすると無数の足音とともに、最初の地区の人たちが走り込んできた。おじさんが多い。大きな声が飛び交ってはいるが、これは喧嘩祭りではない。
お立ち台がゴールの目印なのだろう、彼らは到着した順にお立ち台の上に登っていく。やがて登れなくなると、お立ち台の周囲に集まっていた。私は彼らの邪魔にならないよう、お立ち台から徐々に離れていく。
次々と人がやってくる。藁のようなものを被った人、 泥だらけの人。洋服を着ている人はいない。各々が 土着の何かと思われる姿に扮していて、 その様相には統一性があるようでない。ちなみに私は丈の長いダウンジャケットを着ている。
駆け込んでくる人の数が落ち着き始めたころ、 町内会長と思われるおじさんが叫んだ。
「 そろそろ次が来るから、邪魔せんように避けとこかー!」
その声とともに、かたまっていた祭り参加者はお立ち台から少し だけ離れる。やがて次の地区の人たちが駆け込んでくる。なぜか今度はほとんどが子どもで、 しかしやはりみんなが最初の地区の人たちと同じような仮装をしている 。
私はいつの間にかお立ち台の付近を斜め上から俯瞰で「 チャンコロ祭り」の様子を見ていた。空がほんの少しだけ明るくなっている。祭囃子は延々と聞こえているのだが、そういえば演奏者の姿をまったく目にしていないことに気づいた。
解説
この日はオムニバス形式で4つの夢を見ている。そのうち2つだけは覚えていて、この夢はそのうちの1つ。
この夢の冒頭については、目が覚めてしばらくするまで現実に起きたことだと思い込んでいた。布団から出たときの寒さが妙にリアルだったし、部屋の家具の配置やカーテンの柄も同じだったから疑う余地がなかった。
少しずつ覚醒してきて、夢の内容を整理しているうちに「あれは夢だった」と徐々に確信がもてるようになった。
舞台が完全に現実のもので、隣町で祭りを目にするシーンで初めて現実ではない想像上の街の景色になったのも印象深い。確かに歴史のある祭りは隣町に存在しているけど、その内容は夢のものとは全く違うものである。
夢占い(ネット調べ)
夜
夢の中で目覚めることは、何かに気付くことや発見することの象徴です。そして、夜に目覚める夢は、あなたが過労であったり、不規則な生活をしていたりするため、大きなチャンスが近づいていることに気づかなかったり、大切な何かを見逃したりするため、チャンスを逃してしまったり、社会で活躍する絶好の機会を逃してしまったりすることを暗示しています。【引用】夜の夢の夢占い – ゆめの夢占い
夢の中の夜明け前の薄暗さは、「過渡期」や「変化の兆し」を象徴します。
夜の夢占いにおいて、雨の夜道を歩く夢は未来の見通しが悪い証拠です。雨の夜道を歩き続ける夢は、見通しが悪いにもかかわらず無計画に突き進んでいる証拠です。
祭り
■祭囃子の夢
凶夢。うかつに大きく動かない方が良いでしょう。しばらくは与えられたタスクだけをこなし、アクションを最低限に抑えておきましょう。
【引用】【夢占い】祭の夢を見た!縁起がいい?屋台や神輿など祭に関するモチーフの暗示も紹介 – CanCam.jp(キャンキャン)
祭りを見る夢の夢占いですが、1人でジーっと祭りを見る夢でしたら、あなたは現在とても強い孤独を抱えています。
泥
泥の夢を見るときというのは、生活習慣が乱れていることで体調を崩しかけていたり、コンプレックスなどによって精神的に不安定になったりしている場合が多いようです。
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辺境の日曜音楽家。フトアゴとレオパ。鈴木絢音さん推し。ゲーム実況動画は出していません|https://lit.link/lrfr