「”好きなこと”は趣味として続けて、”できること”を仕事にした」という話
将来に悩んでいる人の参考になればと思い、それをここに書き散らしておく。
数ある経験談のうちの一つとして、誰かの役に立てば本望。
・・・先に結論を書いちゃうと、「私にはこの選択が正しかった」と思っている。
“好きなこと”の話
小学生のころ、漫画を描くことが好きだった。クラスメイトから配られたプロフィール帳の将来の夢の欄に「
中学生になり、友人に誘われるがままにギターを始めた。それをきっかけに音楽に興味を持ち、好きになり、次第に
この頃はまだ、漫画と音楽を1:1で楽しんでいた気がする。
高校生になると漫画を描く頻度が減り、
でも、結局、音楽の道には進まなかった。
理由は後ほど書くとして、私は「好きなことを仕事にする」
“できること”の話
小学生の頃、作文の授業で先生に褒められたことがある。あれは2年生だったかな?
授業内容は、確か「物語を作ってみよう」。自分が書き上げた物語の内容こそ忘れたが、それが
下手くそな字でいっぱいになった作文用紙を次から次に生み出しては、先生に提出する前にクラスメイトに
中学生の頃、構内の売店で購入できる「表紙も無地の
基本構成にのっとって、原則1話15ページ、1冊に数話分を描く。『ONE PIECE』や『銀魂』のコミックスに影響を受けていたので、空きページをわざと設けて駄文も書いていた
中学校生活も終盤に差し掛かると、卒業文集を書く授業というのが始まった。「真面目な文章を書かなければいけない」という状況に気乗りしなかったのだが、ふと「
卒業文集は1ページ2段組、つまり見開きならその2倍の4段分の文章(以下、原稿とする)が必要となる。私はその文字量を稼ぐべく、思い出やデタラメ話などを自動筆記のごとく作文用紙に書き連ねた。
卒業文集に載せる原稿は、現代文の担当教師のチェックを経て掲載となる。数日かけて仕上げた私の文章は、先述のように何でもかんでもを詰め込んだものだったため、「こんなふざけた卒業文集があるわけない」という自覚はあったし、多少の修正が入ることも覚悟していた。
しかし、なぜかほぼ修正なし。ほぼそのままの原稿で、卒業文集に掲載されることになった。
“好きなこと”とは、”できること”とは
どちらにも共通して言えることは、「苦労を苦労と思わないこと」
努力には何かと苦労が付きものだ。
しかし、”好きなこと”ならいくらでも努力ができるし、
ただし、いくら好きなことでも、
“好きなこと”に対して「やりたいこと」「やりたくないこと」「
それが怖くて、私は”好きなこと”
“できること”の場合は、”できちゃう”からそれを努力だと気づかない。
“好きなこと”と同様に、努力=苦労にならないのだ。
“できること”というのは、「自分が人よりちょっとだけ優れたこと(向いていること)」だと思う。
「高いところに登れる」「一つの物事をひたすら調べること」
できる側からすると大したことじゃないんだけど、できない人から見るとすごいこと=”できること”。
“できること”を仕事にしてみて思ったこと
私の場合、”できること”が「文章を書くこと」だったからライター(と編集者)の道を選んだ。
念のため書いておくと、”できること”を仕事にしたからといって楽なことばかりとは限らない。
「できるけどしんどい」こともたくさんあるのだが、それでも始めてしまえばだいたい「できちゃう」
ライター業で例を出すと、普通はあまり接することのないような人から話を聞けたりするの
(なかには取材の許可を出してくれたにも関わらず答えてくれない人とか、延々と自分語りする人とか、ちょっと面倒な人に当たることもあるが・・・)
そうして話を聞くなどして集めた情報を、指定の文字数に沿って(取れ高が多ければときにそれを無視して)、
おおよそこの流れで動き、そのだいたいが「できちゃう」からライター業を続けられている。
ついでに書くと、小学生くらいの頃から将来の夢について漠然と「
その上で、”好きなこと”(私の場合は音楽)は好きなまま、
もともと怠け者でモノグサな性格なので、大きな苦労なくこなせる(=自分に向いている)仕事でご飯を食べられているのは本当に幸せなことだと思う。
ただ、これは誰にでも当てはまることじゃない。
“好きなこと”を仕事にしたほうが幸せだという人も絶対にいるはずだ。
私は「”できること”を仕事にした」人なので、「”好きなこと”を仕事にした」場合の利点は正直わからない。
そのため、どうしても一方向からの意見ばかりになってしまう。
最終的には、自分がどうしたいのかが重要だと思う(結局はこれ)。
私は「”好きなこと”は趣味として続けて、”
福岡県在住のライター・編集者など