本書は、自然誌、植物学、環境破壊、ネイティブ・アメリカンの文化と社会、北アメリカの自然と人間社会が、過去数千年にわたってどのように関わってきたのかについての環境哲学の本です。
人間と自然の関係性をレシプロシティ(相互性、互恵性)を軸に論じた本だとも言えます。 日本列島の自然と過去数千年、この列島に、私達がどのように関わって暮らしてきたのか、思いを巡らせて読むのもよいと思います。
エリザベス・ギルバートが「自然界について書く彼女の言葉は情熱に溢れ、一度彼女の目を通してこの世界を眺めた者は、決してそれまでと同じように世界を見ることができなくなってしまう」と評しているように、 著者の優美さと情熱の言葉遣いは、もし石牟礼道子が植物学者だったら、こうした本を書いたかもしれない、と思わせます。
環境哲学の本と書きましたが、決して難しい本ではありません。しかし、難しいことがいろいろと理解できる本です。
短い1章1章が独立したエッセイになっているので、どこからでも、読書の興味に従って、読み進めることができます。
ネイティブ・アメリカンのルーツを持ちながら、その世界観とは全く異なる植物学者の世界に飛び込んだ著者のロビン・ウォール・キマラーさん。
本書では「スカイウーマンの話」といったネイティブ・アメリカンの伝承、著者のルーツであるポタワタミ族の言語が世界をどう捉えているかの紹介、そのほか「植物学者を目指した理由」「メープルシロップの物語」「植物からかごを作る話」「収穫のガイドライン」「サケの帰還を祝う儀式」などさまざまな内容がエッセイ的に綴られている。
ハードカバーで全496ページと、読書に慣れ親しんでなければ読むのを諦めてしまいそうなボリュームではある。
・・・が!
章ごとに異なるテーマで書かれているため、最初から順々に読んでいく必要はなく、パラパラとめくって気になったエピソードから読むという楽しみ方もできるので、ボリュームに関するハードルは下がるかと。
現代を生きる著者の体験を通して、ネイティブ・アメリカンの世界を垣間見ることができる本書。
特に植物に関すること、ポタワタミ語に関することなんかは本書で初めて知ることも多かった。
ネイティブ・アメリカンと植物学者という“相反する世界観の目”を通して見える世界はとても興味深い。
ポタワタミ語基礎講座によれば、岩は生きている。山も、水も、炎も、さまざまな土地も。私たちの魂を、聖なる癒しの力を、歌を、ドラムの響きを、あるいは物語を吹き込まれたものはすべて、生きているのだ。生命がないもののほうが少なく、それは主に人間が作ったものであるように見える。
〜中略〜
ポタワタミ語は、話すたびに、人間が生命ある世界のすべてとつながっているということを思い出させてくれる。【引用】植物と叡智の守り人 p80 より
個人的に印象に残っているのは「三人姉妹の話」。
“三人姉妹”とは、トウモロコシとインゲン豆とスクウォッシュ(カボチャ)のこと。
現代の農業では種ごとに畑をわけて育てるのが一般的だが、ネイティブ・アメリカンは“彼女たち”を同じ畑で育てるという。
そしてこの栽培方法が“理にかなったものである”ということが植物学者によって語られる、というおもしろさ!
“あの民間療法、実は正しかったんです”的な驚きがあり、これはいつか自分でも実践したいと強く思っている。
何千年もの昔から、南はメキシコから北はモンタナまで、女性たちは土を盛り上げてはこの三種類の種を蒔いてきた。同じ畑に三つを一緒に植えるのだ。マサチューセッツ州の洗顔に入植した白人たちは、初めて先住民の畑を見たとき、この野蛮人たちは農業の仕方を知らないのだと推察した。彼らにとっての農園とは、一種類の作物がまっすぐな列に植えられているところのことで、豊かな作物が三次元的に広がるその畑ではなかったのだ。とは言いつつ、彼らはその作物を食べ、もっとよこせと言ったーー。何度も何度も。
【引用】植物と叡智の守り人 p165 より
ネイティブ・アメリカンの世界(世界観)に興味のある人はもちろん、そうでなくても植物が好き、あるいは読書が趣味という人には「ぜひこれも読んでみて!」とおすすめしたい一冊。
1989年7月生まれ。のらエッセイスト
