初めての入院体験記(3)
2018/06/24
10月12日(水)。
前日の疲れと、深夜の寝ては起きての繰り返しもあって体力が落ちていたようです。体温も最高で37.8度、微熱は19:00ごろまで続きました。
それもあって、日中はひたすら睡眠。本を読む気力も、ゲームをする気力もありませんでした。看護師がやってくるときだけ目を開けて受け答えをし、それ以外は泥のように眠る眠る。トイレだって、カテーテルで繋がれているので自発的には動けません。まして膝が曲がらないよう、右足はガッチガチに固めてあります。
この日は疲れがひどく、特に午前中については何時に何をした、といった細かな記憶がまったくありません(メモも残っていません)。
1.起床〜昼ご飯まで
手術の翌日にふさわしい、ボリュームはありつつも質素な朝ご飯。「食わなきゃ元気になれない!」と自分に言い聞かせ、がつがつ食べて完食です。
そのあとは、ただただボーッと過ごして体力の回復に努めます。
メインのおかずである牛肉やタケノコ、レンコンを炒めたものがほどよい塩気でご飯が進みます。お盆の真ん中にあるプリンは、ミルクプリン? 予想よりあっさり目の味わいでした。
2.午後の話
時間を覚えてませんが、午後に入って尿意カテーテルを抜きました。思わず声が出てしまうほどの(一瞬の)痛み。あやふやな記憶の中でも、これはかなり痛かったことを覚えています。繋いでるときから異物感があって、これはとても気持ちのいいものではないですね。
カテーテルをとったあとはしばらく尿意の感覚がよくわからなくなりました。実際にカテーテルをとった直後にトイレに行ったのですが、出そうな感覚があるのに全然出ない。これはしばらくしてもう一度チャレンジし、1回出せば変な感覚はなくなりました。
13:00、妻がやってきました。たまたま昼の時間に会社を抜け出せたようで、たったの30分だけの滞在ですがこれはかなり大きな支えになりましたね。昨日の様子を聞いたり、術後に妻が医者から聞いた手術の説明を聞いたり。この辺りから記憶がしっかりしてきます。
どうやら腫瘍(ガングリオン)の切除だけでなく、半月板も少し削ったみたいです。なんでも半月板に切れ目が入っているらしく(これはスポーツマンに多いのだそう)、そこから液が出て、今回のように溜まると。半月板の周囲がささくれ立っていたので、そこも削ったとか。このささくれも痛みの原因のひとつらしいです。
夕方ごろ、点滴を外しました。これで体に繋がる管はゼロに。右膝が自由に動かないだけで、気分的には昨日にくらべると格段に楽なものです。ただ、体の疲れは残っているし、まだまだしんどい。
17:30ごろ、仕事終わりの妻がやってきました。毎日毎日申し訳ない。妻の優しさ、ありがたみに心の中で拝み倒します。仏はここにいたのかっ! と。
3.夜以降
18:00、夜ご飯。点滴が外れたことにより左腕を自由に使えます。点滴中は刺さってること自体が邪魔だし、心臓より上に上げちゃいけないしでとても不便。いやー、食器を持って食べられること(ご飯や汁物をかき込めること)の素晴らしさに感謝です。
18:50、妻が帰りました。このとき、猛烈に寂しさを感じたのを覚えています。たぶんこの日の夜、正確にはこの瞬間が入院生活における寂しさのピークだったと思います。いままでは気にならなかった院内の静けさ。「静寂」とはよく言ったものです。病室のテレビは有料になるのですが、ここはテレビカードを買いたい気持ちをぐっと抑えて、この記事の下書きを書きはじめました。この「入院生活を記事にする」というミッションも支えになっていたのかもしれません。
・・ちなみにこの日、ラインで地元の友人から結婚のお知らせが届きました。来年の2月に結婚、3月に式を上げるそうです。なんともめでたい! 確かにめでたいことなのですが、いかんせんタイミングが悪い。ちょうどカテーテルを抜いたくらいのときに届いた連絡だったので、すぐに返す気力もなく・・。返信はその日の夜、ある程度体力と気力が戻ってからしました。
すぐに返せなくてごめんよ、こういう事情があったんだ。
辺境の日曜音楽家。フトアゴとレオパ。鈴木絢音さん推し。※ゲーム実況はやっていません|https://lit.link/lrfr