気がついたこと、思っちゃったことを、あえてきっちりと整理せずに書き連ねてみる。
世界(自然界)のすべては循環している
この世のあらゆるものはまわって(循環して)いる。
例えば水は、海から空(雲)、雨を経て山、川、そしてまた海に戻る。空気はさまざまな生き物を経由しながら地球上を巡り続けている。生き物の世界では食事と排泄(食べて出すこと)、種族を越えて食物連鎖でも循環が起きている。
スケールを広げてみれば、星は自転していて、銀河は渦を巻いている。逆に狭めていくと血液は全身を循環しているし、DNAは螺旋状に回転している(これは厳密には“ねじれ”なので無理やり感は否めないが…)。
つまり、この世のあらゆるものはまわっている。循環している。
ということは、すべての物事(や事象)は“まわっている(循環している)”のが正しい姿なのではないだろうか。
と考えたとき、ふと輪廻転生が頭をよぎった。
魂はあの世とこの世を行き来する(何度も“生”を繰り返す)ことで、魂としてのレベルを上げていくらしい。
それが真実かどうかは知らないが、自然界ではおそらくほとんどの物事がまわって(循環して)成り立っていることを踏まえると、魂も循環しているのではないか。と。
人類が作った言葉から考える
古代ギリシア語で「プシュケー」という言葉がある。もともとは「息」という意味だったが、転じて生きること、心、魂という意味になったらしい。
サンスクリット語の「プラーナ」という言葉には「息」「呼吸」「生命力」という意味があり、日本語では「気」と訳される。
日本語でも死ぬことを「息を引き取る」「息絶える」と表現する。
もしかすると、「息」と「魂」は同じものなのかもしれない。
呼吸によって生物が吐き出す「息」が「魂」の一部なのであれば、それは空気となって地球上をおおっていて、その空気を生物たちは共有している。
ってことは、「魂」というものはもともとはひとつで、この世の生物は実はひとつの魂を共有して存在している、ということ?
息にまつわる不思議な話
気になってネット検索してみると、あるお寺のブログにこんな記述を見つけた。
高知県のある男の人が行う
「病人祈祷」という病魔を追い払う儀式があって、
その儀式の最後に、呪文を唱え、
病人に向けて「フー」と息を吹きかけるのだそうです。
これを「魂止め」といい、病人の身体に魂を固定させるのです。
呪術としか言いようのない儀式。まるでファンタジーの世界のお話。まあそもそも日本という国が神話の延長線上に存在するファンタジーみたいな国なんだから、今さら驚くほうが悪い(悪い??)。
魂の一部である「息」を失う(すべて吐き出してしまう?)ことを、「息を引き取る=亡くなる」と解釈しているのであれば、もしかして人類はずいぶん昔にものすごいことに気づいちゃっていないか?
…あ、いや、ちょっと待ってくれ。
「息を引き取る」って、その“引き取り手”は誰のことを指しているんだ?
1989年7月生まれ。のらエッセイスト