【書評?】轟く雷 – メディスン・マン ローリング・サンダーの気づき

雑記

ローリング・サンダー関連の書籍といえば、たぶん「ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究」(ダグ・ボイド著)が有名なんじゃないだろうか。…違うかもしれないけど、個人的にはそうなんじゃないかなって思っている。

いつだったかどこだったかで本の存在を知り、探し回ったけれど見つからず、行ける範囲の書店を回るもなくて、諦めて、やがて忘れてしまって。しばらくして社会人になり、数年目で会社と自分のつながりに悩み始めた頃に本の存在を思い出し、でもタイトルをはっきりと思い出せないまま、会社から徒歩圏内の書店に入って探してみたら一発で見つかった。
タイトルを思い出せなかったくせに、背表紙を見て「これだ!!!」とピンときた記憶がある。
きっとそのときが、ローリング・サンダーの教えに触れるにふさわしい、正しいタイミングだったんだろう。これが2017年末の話。

「轟く雷」がやってくる

時は経ち、2024年12月某日。なんとなくAmazonを見ていたら「轟く雷」という文字と荒野のイラストが表紙の本が目に入った。
気になる書籍は片っ端から「ほしいものリスト」に保存していて、それがたまにおすすめに出てくることがあるのだが、「轟く雷」とかいう本をほしいものリストに登録した記憶はない(現にリストを確認しても登録されていなかった)。
しかしすぐにピンときた。「轟く雷」とは、つまり「ローリング・サンダー」だ。
AmazonでもGoogleでも、最近はアメリカ・インディアンについて検索していないのだけど、どうして今になって急にこの本が表示されたんだろう…。昨日までは見たことのない表紙画像。これが「轟く雷 – メディスン・マン ローリング・サンダーの気づき」(Sunbeam 著)との出合いだった。

実話か、創作か

ポチって数日後に本が届いた。本書は物語調で、ローリング・サンダーの子ども時代のエピソードから始まる。ここに書かれているエピソード自体はなんとなく知っていたのだが(過去に調べ漁ったことがあるのでそのときにどこかで読んだのだろう)、聞いたことのない詳細な出来事まで記されている。
彼がどうやってメディスンマンになったのか。多くの人々に知られるようになる前はどうしていたのか。なぜ砂漠のなかにもかかわらず緑が生い茂る庭に囲まれた家で暮らしていたのか。
この本には「ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究」には書かれていなかった、ローリング・サンダーの姿が描かれていた。
 
しかし、著者はあとがきにこう記している。
この物語は、私がかれこれ十五年ぐらい前に会った老人が発端の物語である。しかし、これはその老人の自叙伝的なものでは無い事をお断りしておく。あくまでもフィクションである。たぶん。なぜ、たぶんなのか。それは、この物語が老人に会った時に、頭の中に湧いてきたものだからだ。まるでその老人から送られてきたように。したがって、私自身が、ストーリーを考えたり、展開を考えたりという作業をしていないに等しい。そこにあるものを、活字の形に直していったに過ぎないのだ。最近になって、あれを書け、早く書けと、老人がやってきてせかしているような気がして、残りを一気に書き上げてしまった。忘れかけていた何かが反応して、頭の中に依然としてあったこの物語を、表に出す時が来たと告げていたのだ
書いてある物語(出来事)は真実なのか、と聞かれたらよくわからない。起きていたような気もするし、起きていないような気もする。
でもそんなことは実際のところどうでもよくて、実話であれ創作であれ、この本に書かれている物語はとても興味深い。「ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究」のような大長編ではないので、読むのにさほど時間がかからないのもいい。
ここ数年、忘れていたわけではないし意識して距離をとっていたわけではないが触れていなかったアメリカ・インディアンの世界を思い出すことができた。

正しい時と正しい場所

最近の私は悩んでいた。相変わらず妻のコロナ後遺症は良くならないし(とはいえほんの少しずつではあるが回復してはいる)、私といえば関わっている案件のリニューアルの影響でレギュラー仕事が1つなくなってしまったし(当然収入は減る)、それでも今は以前と違って家計は私が一馬力で支えなくてはいけないし。
まあちょっとした絶望に近いやつだ。貯金は徐々に減っていて、じゃあどうするべきか、とりあえず今は何ができるのか、答えを探していた。
そうやって悩んでいるとき、ローリング・サンダーは私の前に姿を現す。前述の2017年のときだってそうだった。
 
すべてのものには正しい時と正しい場所がある。
 
あ。この本を読んだから答えが見つかった、とかではないので誤解なきよう。読書後の今も抱えている悩みに対する明確な答えはわからないままだし、現実の状況が大きく変わったわけでもない。
だけど、この本を読んだことで心にちょっとした変化が起きた。
今起きていることは受け入れがたいものだが、事実として起きているのだから、それを生きていくしかない。それを生きていく必要がある。そう思えるようになった。鳴った。雷が轟いた。
いち早い寛解を祈り願うのはもちろんだが、それがいつ叶うのかは正直わからない。祈り続けるうちに、2024年の大河ドラマ「光る君へ」で雨乞いし続けた結果寿命を大きく縮めてしまった安倍晴明(はるあきら)のように、心身ともに疲れ果ててしまうとも限らない。もちろん、私には晴明のような特殊呪術なスーパーパワーはない。
結局、資本主義の経済社会のなかで暮らしている以上、お金については頑張って稼ぐしかない。後遺症の症状については頭のいい偉い方々がおっしゃるとおり、現状は「対処療法」で頑張っていくしかない。何だよそれ、と思われるかもしれないが、そうなんだよ。
 
「正しい時と場所」を理解するためには、それを生きなくてはならない。
 
久しぶりに「ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究」を読み返そっかな。
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