バケットハットを被ったスライムが、いつも僕を見守ってくれている
小学生の頃は何よりも漫画が好きだった。将来の夢を聞かれると、漫画を描いたことのない時期から「漫画家」と答えていた。
漫画との出合いは、父が買ってきたコロコロコミック。記憶が正しければこれは幼稚園の頃の記憶で、なぜか毎月買ってくれていたわけではなかったはず。だからといって文句を言った記憶もないのだが、それについてはきっとギャグ漫画しか読んでいなかったから気にならなかったのと、そもそも毎月出ていることを把握していなかったことが理由かもしれない。何しろ幼稚園児だし。
小学生になるとコロコロコミックを毎月読み、たまにボンボン派の友達の家でボンボンも読み、兄や姉がいる友だちの家で少し昔の漫画コミックスを読み、やがて自分のお小遣いで週刊少年ジャンプやコミックスを買い始める、という王道の漫画好き少年に成長した。小学五年生の頃、当時同じクラスのとある女子が「女子しか読んじゃいけないオリジナル漫画」を描いていることを知り、悔しくなって「男子しか読んじゃいけないオリジナル漫画」を描き始めた。ジャンルはもちろんギャグ漫画。物語なんてあったもんじゃない。内容を思い出してみる。
主人公は岡部という鼻の大きい少年(学生)。彼は教室に入ってくるなり、すでに登校しているクラスメイトたちに「うぃ〜っす」とあいさつをするのだが、誰もあいさつを返そうとしない。すると劇画タッチになった怒り気味の岡部(なぜか白目)が「うい〜っす!」ともう一度あいさつ。クラスメイトたちは渋々「うい〜っす」と返すのだが、もとの素朴なタッチに戻った岡部はそれに納得がいかない様子。そして次のコマで岡部の遺影(劇画タッチ)とお線香が描かれる=死んでしまっておしまい。
流れなんかない。小学生ならではの、勢いで笑わせる漫画だった。それでも、一般的な漫画を持ってきてはいけない小学校ではわりと好評で、卒業までにこの調子の作品をノート2、3冊分描いた。
一番力を入れていたのは中学時代。この頃には漫画の描き方を意識して学ぶようにしていた。主に参考としていたのは、鳥山明作品だった。『ドラゴンボール』ももちろん読んだが(当時発売され始めたコミックス「完全版」はすべて初版でそろえた)、特に読み込んだのは『Dr.スランプ』『鳥山明○作劇場』(VOL.1〜3)、そして『ヘタッピ漫画研究所』。コマ割り、擬音の使い方、キャラクターと背景の線を離す、といった漫画の技術のほとんどは鳥山明作品で勉強をした。そのおかげか、中学時代に描いた漫画もわりと好評で、他クラスの知らないやつが僕の漫画を読んでいて感想を伝えてきてくれるということもあった。
今は漫画を描くことはなくなったけれど、鳥山明(あえての敬称略)はいまだに僕にとっての漫画の神様であることに変わりない。高校卒業以降は漫画からすっかり離れてしまっていたが、それでも思い出したようにたびたび『ネコマジン』だったり『SANDO LAND』(鳥山作品のなかで一番好きな作品、去年の映画も最高だったし、発売を控えているゲームも楽しみで仕方がない)だったり、短編作品などは読み返していた。『ドラゴンボール』以降の鳥山明作品は軽い気持ちで読めるからいいんだよなあ。
『ドラゴンクエスト』も忘れてはいけない。というか、“ドラクエ12”はまだ開発中だし、「SAND LAND Project」だってついこの間発表されたばかりじゃないか。今確認してみたら、プロジェクトが発表されたのは3月4日。なんというか、悲しいという言葉で表現してもいいのか戸惑ってしまうような気持ちである。
SNSを見ると、いろんな世代の人が、世界中の人が鳥山作品の画像や動画をアップしている(本当は良くないことなんだろうけど)。そうだよなあ、みんなそういう気持ちだよなあ。天使の輪っかで、笑顔でバイバイ。
家族が寝静まった家の一室(仕事部屋)で、今唯一手元にある画集「鳥山明 THE WORLD SPECIAL」を開いてみる。わくわくする。今でもわくわくさせてくれるイラストの数々。そういえば画集「鳥山明 THE WORLD」は実家に置きっぱなしだ。あっちには書き込み量の半端ない赤いトカゲのイラストがあったはず(ネットで探してみたけど誰もアップしていなかったから未確認、情報源は記憶のなかにしかない)。あのイラスト、好きだったんだよ。
この部屋の一角には、ずっとバケットハットを被ったスライムがいて、いつも僕を見守ってくれている。いつもの風景。…そろそろ洗濯したほうがいいかもしれない。
鳥山明さんのご冥福をお祈り致します。
辺境の日曜音楽家。フトアゴとレオパ。鈴木絢音さん推し。※ゲーム実況はやっていません|https://lit.link/lrfr