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コメダ珈琲でモーニング/カルロス・カスタネダ著「ドン・ファンの教え」

▲コメダブレンド(たっぷりサイズ)、モーニングC、ミニサラダ

「午前中に病院へ行って、その帰りにコメダ珈琲へ寄る」という、月に一度の定期コメダ活動。

天気予報が「晴れ」と表記した月の前半の一日のことを「定期コメダの日」と勝手に定めている(今考えた)。

ちなみに今月の「定期コメダの日」である2020年11月11日は、「豚まんの日」であり「麺の日」であり「ポッキー&プリッツの日」であり「きりたんぽの日」であり「もやしの日」であり「鮭の日」であり「ピーナッツの日」であり「たくあんの日」であり、終いには「いただきますの日」でもあるらしい(食べ物以外ならまだたくさんある)。

・・・もうなんでもありのラインを軽々越えて節操がないレベルだ。

「棒状のものが4本で〜」というのは10000000歩譲って理解できるとして、「鮭」は無理矢理すぎないか?

●鮭の日

新潟県村上市が1988年ごろ制定。他に築地市場の北洋物産会も制定。いずれも、「鮭」という漢字が魚偏に「十一十一」と書くことに由来。

【引用】11月11日 – Wikipedia

制定時期は曖昧だし、理由も弱いよ!

 

ところで、平日の10時ごろに普段着で来店する長髪(※長めのボブでパーマ)の男は、世間一般の目にはどう映っているのだろうか。

考えただけで寒気がする。

コメダ珈琲に到着

最寄りのコメダ珈琲は、経験上、平日の午前中は満席にならない。

ボックス席に座り、すぐさまオーダー。

モーニングのトーストに塗るのはバターではなくイチゴジャムにして、サラダを食べるための箸もお願いする。

オーダーを取りに来たスタッフさんは、前回「嫌い箸」ムーブをかました(おそらく)新人さんということで少し不安になったが(以下の記事参照)、しっかり伝えたから大丈夫だろう、前回だって箸はしっかりサーブされたのだ、と思うことにした。

>>「ポテトバスケット」と「コメ牛」の誘惑

 

今日はまわりの席に”気になっちゃうヒト”がいないから読書が捗りそうだ。

ということで、今日もバッグから本を取り出した。

「ドン・ファンの教え(新装版)」

▲「ドン・ファンの教え(新装版)」著:カルロス・カスタネダ/訳:真崎義博

今日のお供は、カルロス・カスタネダ著『ドン・ファンの教え』。

“ドン・ファン”シリーズのなかでも精髄と評される「初期4部作」を、同シリーズの代表的訳者による翻訳で統一し、これからの世代に向けて装いも新たに刊行。呪術師との出会い、新たな宇宙観の学びのはじまり。すべての起点となった第1作。

【引用】Google books

翻訳者による新訳が加えられ、2012年に発刊された単行本だ。

もともとは1972年発刊の『呪術師と私-ドン・ファンの教え』で、それの新装再発本といっていいのか?

カルロス・カスタネダは、彼のWikipediaのページにわざわざ「カルロス カスタネダとは誰か?」という考察サイトへのリンクが貼られていることからも察する通り、さまざまな憶測が流れている人物だ。

また、カスタネダ自身が“ヤキ・インディアンの呪術師「ドン・ファン」の元で学んだシャーマニズムの教え”を記した著作とされているが、作中に登場する呪術師・ドンファンについても、「実在しない、架空の人物なのではないか」という噂もある(モデルとされるインディアンはいるようだが、著者本人の口から語られた情報がないため真相不明)。

なお、2012年発刊の新訳版のまえがきにはこのようなことが書かれている。

本書は民族誌であり、同時に寓話でもある。

(中略)

わたしたち自身のものとは違う世界に入っていくことの最も重要な点ーつまり人間そのものの重要性だがーそれは、その世界がわたしたちの世界もまた文化的構成体なのだということを理解させてくれることにある。他の世界を体験することによってわたしたちはわたしたちの世界が何のためにあるのかを知り、またわたしたちの文化構成体と別な世界のそれとの間にある真実の世界が実際にどのようなものでなければならないかを垣間見ることができるのである。民族誌であると同時に寓話でもあるというのはこのことからきている。

(後略)

【引用】まえがき – ドンファンの教え(P4-5)

こんなことを書いちゃうと、めちゃめちゃ胡散臭く思っちゃうかもしれないが、仕方ない、私だって最初にこのことを知ったときは胡散臭いとしか思えなかった。

しかし、この本が音楽家の細野晴臣氏をはじめ、多様な人々に影響を与えているという事実を知ってから印象が変わった。

もしかすると胡散臭いからという理由で切ってしまうにはもったいないのかも?

そうやって気になりだしたころに、書店で偶然本書を見つけてしまった。

以前、まだ「胡散臭いなー」と思っていたころにはいくら探しても見つからなかったのに、その先入観を捨てて探し始めたら一発だ。

「これは何かの縁かもしれない」。

 

まだまだ前半も前半までしか読んでいない。

が、すでに著者はドンファンと出会い、メスカリト(「ペヨーテ」のこと)を使用し不思議な体験をしている。

ページ数は多いが、展開は早い。

読み始めると、確かにこれを「真実じゃないんじゃないの?」と疑う人の気持ちもわからなくない。

それならいっそのこと、創作物語として読むのも楽しみ方のひとつかもしれない。

注文の品がやってきた

オーダーから数分後、品物がやってきた。

サーブしてくれるスタッフは、オーダーをとってくれたスタッフとは別の人だ。

コーヒー、トースト、そしてサラダとフォークの順でテーブルに置かれていく。

・・・あれ?フォーク?

「すみません、お箸もお願いしていいですか?」

どうやらオーダーがちゃんと通っていなかったようだ。

「はい、お待ちくださいね」

そう言ってすぐに箸をもってきてくれた。

サーブしてくれるスタッフには何の罪もない。

 

・・・だから私は言えなかった。

トーストにイチゴジャムが塗られていないことを。

(1枚目の写真参照)

参考サイト

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