「大阪人は粉物好きだと思われとるかもしれませんが、違うんですよ。…ソースが好きなんです」
ボブ・ディランの来日コンサートを見に大阪へ行った際、ホテルのすぐ近くにあった鉄板焼き屋で夜飯を済ませたのだが、上記のセリフはそこの店主の口から飛び出したものだ。
ついでに、とでもいうように、店主は「ソース切れ」という言葉についても教えてくれた。
これはつまりソースを食べたくて食べたくて仕方がない症状のことで、禁断症状とまではいかずとも近しいものらしく、いわゆる大阪人と分類されるものの多くはソース切れウイルスに感染しており、そしてもれなく発症しているという(※あくまで店の人からの情報)。
福岡人に豚骨切れがあるかといえば、ない。東京人に蕎麦切れ、寿司切れ、なんてのも聞いたことがない。熊本人に馬刺し切れ、鹿児島人に黒豚切れ、いずれも聞いたことがない。もしかすると、沖縄には泡盛切れくらいはありそうだが。それにしても、「ソース切れ」とはなんとも珍妙な病である。
そのときは「へぇー、そーなんですねー」というような無難な返答をして、すぐに別の話題、例えば「ねぎ焼き」は締めに食べるとか、そういう話に切り替わったので「ソース切れ」への深追いはしていない。それが2016年4月の話。
2018年のある日、というか割りとつい先日。何気なくお好み焼きを昼飯に選択し、オンザ鉄板のアツアツをハフハフと食らい、ごちそうさまでしたとお勘定を済ませる。その後しばらくは今まで通りの日常を過ごしていたのだが、数日も経てば無性にソースのかかったものを食べたい気分に襲われた。
あ。
しまった、やられた。
たぶんこれは、おそらく、素人ながらに推測するに、あのとき実は大阪で「ソース切れウイルス」に感染していて、でも発症はしないまま体内に潜伏。このたびお好み焼きを食べたこと(=ソースを摂取したこと)をきっかけに見事に発症してしまったのではないだろうか。
むむむ、なんて長い潜伏期間なんだ。
そして、今日もソース切れの発作が起きた。
私の勤めている会社から徒歩10分もしないところに、カウンターしかないお好み焼き店がある。見た目で判断するに五十代、もしかしたらそれ以上?の夫婦が営む小さな店だ。
店は小さいがお好み焼きはでかい。直径で30cm近くのものを半月型に折りたたんだ状態で出てくるのだが、これがもう冗談抜きに、その厚さも含めて立派な鯛くらいの大きさなのだ。
それだけのサイズだから、当然焼くのにはそれなりの時間がかかる(とはいっても10分くらいか)。大きなコテ2つを左右の手に構えた大将が、そいやっ、という掛け声はないにしても、一つ一つ丁寧に焼き上げてくれる。待ち時間が長いとはなんたる愚問。それくらいは当たり前、礼儀のようなものである。
「お待たせしましたー」と声の主は大将。意外と高めの声に少しだけ驚きつつも、いよいよお好み焼きとご対面となる。
立派な鯛くらいの大きさ、というのがこの写真で伝わるかは正直あまり自信がない(左奥に水の入ったコップがあって、それと比べればかろうじて皿とブツの大きさが確認できると思う)。
しかし!想像してみてほしい。
カウンターしかない狭い店内で、しかも満席なので隣の人との距離も近く、さらにカウンターのすぐ向こうには鉄板と対峙し続ける大将と若干険しめな表情の女将さんがいらっしゃるわけで、とてもじゃないがパシャパシャと何枚も写真を撮れるような雰囲気ではない、ということはわかっていただけるのではないだろうか。
スマホを横向きで、胸のあたりに構え、一枚だけ、パシャり。
そのあとはただひたすらに食べるだけだ。
体が欲しがっていたソースをたっぷりとかけ、皿の空きスペースにミートボールサイズくらいのマヨネーズの山を作り、一心不乱に食らいつく。肉玉、あなどれないボリューム。予想していたよりもサラサラとしているソースに翻弄されながら、何度も掛け直しつつ、その都度に威勢よく食らいつく。
ハフハフ、ハフ、と、食べる。ソースをかける、ソースを吸った生地が真っ黒になる。そうだ、これを求めていたのだ!
無心で食べること10〜15分くらいか、もしかするともう少しかかっていたかもしれない。立派な鯛のように膨れた胃袋に冷えた水を流し込み、ごちそうさまでした。うーん、実に良いソース補給タイムだった。これでまたしばらくはソース切れの心配はないだろう、と安堵の表情を浮かべているが私は大阪人ではないということを念のため記しておく。
お勘定、とここで財布を見て、あ。事件に気づいた。
なんということだ。あろうことか、財布の中で笑っているのは福沢先生だけではないか。普段は野口先生だけが、まるでクローンのように数枚だけ並んでいるというのに、今日に限って万札が一枚オンリー。
経験上、こういうカウンターしかないような個人店では万札に対するお釣りの用意があまりされていない。というのも客のほとんどが常連で、だいたいみんなしてぴったりの額を持ってくるわけで、あとは一部の人が千円札で支払うためお釣りは小銭のみで済む、というパターンに落ち着くからだ。くそう、迂闊だった。
私「あのー、大きいのしかないんですが、大丈夫でしょうか」
大将「あー、今お釣り切らしててねー、細かいのないですかねー」
私「すみません、これしかないんです、、」
大将「んー、わかりました、そしたらお時間ちょっとお待ちいただけますか?おーい、お釣りの準備してきてくれないか」
大将が女将さんに声をかけると、女将さんは無言で店の奥のほうに置かれた棚に手を伸ばすと壱万円札を取り出して、そそそっ、と外に出て行った。
あー、申し訳ないなあ、怒られないかなあ、なんか表情険しかったように見えたなあ、申し訳ないなあ、などと悩みのフレーズが脳内をぐるぐる回ろうともそうであることは決して顔には出さずに待つこと3分ちょっとばかり。
女将の帰りを待っている途中、大将が「すみませんねえ、時間、大丈夫です?」と気を使ってくれたのだが、その優しさが心にグサグサとくる。その優しさに対して私ができることといえば、今度来るときには釣り銭もいらぬとぴったりの額の小銭を用意してスムーズにお勘定を済ませることくらいだ。
帰ってきた女将さんが対壱万円札用のお釣りを大将に手渡し、それを見て私が壱万円札を大将に手渡し、大将がお釣りの9400円を私に手渡す。
私「すみません、お手間おかけしました。ごちそうさまでした!」
「ありがとうございましたー」と、まるで面倒なことなどなかったかのように笑顔で見送ってくれた大将と女将。ここには下町の、古き良き時代の人情というやつが残っている。
これは「ソース切れ」などと珍妙な病を言い訳にあーだこーだと言っている場合ではない。そんなよくわからない症状に惑わされていない、もっと正常な状態でまた来ようと思った。
辺境の日曜音楽家。フトアゴとレオパ。鈴木絢音さん推し。※ゲーム実況はやっていません|https://lit.link/lrfr