先日、いつもより少しだけ早起きして「志賀海神社」に行ってきた。往復約40kmの朝活サイクリング。この距離のサイクリングはたぶん1年以上ぶり。普段はほとんどの時間を家で過ごしていることもあり、往路の終盤あたりですでに太ももが軽い悲鳴をあげていた…。
そんな感じで2時間弱かけて目的地に到着。くたくたの足にムチを打って参道(階段)を進む。「志賀海神社」の参道はほぼ階段である…。
最近は「口訳 古事記」(町田 康 著)をきっかけに個人的に日本神話まわりの研究?を始めていることもあり、昔に比べて遥かに神様に関する情報を仕入れている。そのため、神社の由緒書きの内容がわりとすんなり理解できて非常におもしろい!「志賀海神社」の御祭神である「綿津見三神」についても、もちろん基礎知識は仕入れてある。
今回「志賀海神社」に行った目的は、2023年9月からコロナ後遺症に悩まされ苦しみ続けている妻の病気平癒祈願だ。
御祭神である「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」の三柱は、イザナギが海で穢れ祓いを行なった際に誕生した神様(通称「住吉三神」)。主に海の神様ではあるが、禊祓の神様でもある。つまり、「穢れ祓い=病気平癒」というわけだ。
両サイドに緑が茂る参道(階段)を進み、楼門を抜けて手水舎へ。先客のわんこを連れたマダムに会釈して、その横で手を洗い、口をゆすいでいるとわんこに吠えられてしまった。
わんこに目をやると、吠えたのは威嚇とかではなく、むしろ「遊んでくれ」と言わんばかりのアピールだった。数回撫でさせてもらったところ、それでわんこは気が済んだようでだいぶ落ち着いてくれた。やがてマダムの息子さんがやってくる。
そのまま少しだけマダムと世間話をしていると、「境内に入って右手に、島根(出雲)ゆかりのものがあるって聞いたんだけど知ってます?」というようなことを聞かれた。「志賀海神社」と出雲の繋がりは、これまで見たことも聞いたこともない。あとでネットで検索してみたけれど、それらしい情報には辿り着けなかった。
参道の左手にクナドノカミを祀る社があったから、もしかしたらそれのこと?もしくは本殿の裏手にあった祇園社か、磯崎社のこと?マダムは神社の関係者に聞いたと言われていたが…。
「知らなかったです、興味深い情報をありがとうございます!」と伝えてから、マダムのもとを離れて本殿へ。お賽銭箱の前に立ったタイミングで、マダムから「あ、あった!これかも」と再び声をかけてくれた。なんていい人…!
本殿への参拝後、マダムが指した場所に向かったが、教えてくれたそれは神功皇后(第15代天皇・応神天皇の母)ゆかりの「亀石」だった。そこは小さな鳥居が建った遥拝所になっており、海を越えて遥か先にある伊勢神宮を拝むことができるという。出雲ではなく伊勢。
そういえば…。日本神話については基礎的なところから地道に学び始めているのだが、自分に絡めて調べてみるとかなりの確率で神功皇后の名前を目にする。
例えば、自分の名字絡みで神社を調べるとその建立に神功皇后が関わっていたり、そもそも現在の居住地域が神功皇后ゆかりの地だったり。先の「亀石」しかり、「志賀海神社」にも神功皇后ゆかりのエピソードがいくつも残されている。
ということで、この日の出来事について、少しオカルティックな解釈をしてみる。
あのマダムの正体は実は神功皇后で、一緒にいたイケメン息子は応神天皇だったのではないだろうか。最近の私は古代出雲について非常に興味が湧いている。神功皇后はそれを見抜き、「出雲」というワードを出して自身のゆかりのものに興味を持つように仕向けたのかもしれない。
…いや、神様がわざわざ一般庶民の私に声をかけることがないのはわかっている。ましてや神功皇后は武神。やらなくてもいいことを、わざわざ回りくどいやり方でするわけがない。しかし、日本神話やら神社やらについて調べまくっているここ数日のことを踏まえると、なんだかそう思えて仕方がない。
1989年7月生まれ。のらエッセイスト