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政治を皮肉る演説歌「オッペケペー節」

      2017/03/25

2016-02-23 16.31.29

川端商店街(福岡市)の入口にある川上音二郎の銅像

2月から勉強をはじめていたこの項目。最初はラップ文化の森に入って1970年代後半のアメリカ(ラップが生まれた時代)でさまよってました。で、そこに入っちゃったら出口は現代のヒップホップまでないことに気づいて、なんとか脱出。無事に明治時代の日本からスタートです。

というわけで、今回はリズムよく韻を踏んでいることから“世界最古(?)のラップ”ともいわれている「オッペケペー節」について勉強してみました。

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どんなきっかけで誕生したのか

川上音二郎(wikipediaより)

川上音二郎(wikipediaより)

作者は福岡県博多出身の川上音二郎(1864-1911年)という男。

家出同然に14歳で上京し、その後は放浪生活の末に福沢諭吉の書生警視庁巡査などを経て、10代後半には自由民権運動に関わり街頭や芝居小屋で政治演説を行っていたそうです。

二十歳前にしてすでに波乱万丈な人生ですね。しかしそんな波乱万丈な彼を政府は見逃さなかったようで、自由民権運動のときに彼はなんと180回以上も逮捕されているとか。

しかし、ここでめげないのが天下の川上音二郎。元来頭のキレるほうだった彼は逮捕されずに自分の主義主張を訴えるにはどうすればいいかを考え、結果“「芸」を利用すること”を思いつきます。

そうして生まれたのが「オッペケペー節」。1889年、音二郎が26歳のときのことでした。

一説によると、どうやら三代目桂藤兵衛が歌っていた「ヘラヘラ節」(三遊亭萬橘の音曲)を元ネタにしているようです。

ヘラヘラ節の「ヘラヘラヘッタラヘラヘラヘ」のフレーズが「オッペケペッポッポ」になった??

三代目桂藤兵衛

上方の噺家。「顋無齋(しむさい)」の名乗りの通り、顎が短く、眉太、色黒で、木魚に目鼻を付けたような顔で、丸々とよく肥えた愛嬌たっぷりの人気者であった。木遣崩し、鎌倉節、オッペケペー節、郭巨の釜堀(テケレッツのパー)などを流行らせ、『三十石』の舟唄を得意としたという。(wikipediaより)

三遊亭萬橘

寄席芸人。珍芸「ヘラヘラ」で名を挙げた初代が特に有名。代々音曲師が継承していた。音曲噺を専門とする音曲師が全滅したためか、戦後この名跡を襲名する者は現れていなかったが、2013年に三遊亭きつつきが襲名した。(wikipediaより)

「ヘラヘラ節」の音源は現代には残っていないみたいです。残念。。

ですが、初代萬橘の芸のひとつ「ヘラヘラ踊り」は、老舗料亭・南地大和屋(2003年閉店?)が1924(大正13)年に復活させ、現代まで受け継がれているようです。

「へらへら節」の楽譜はありました→http://www.d-score.com/ar/A02120405.html

1880(明治13)年とあるので、たぶんこれだと思われます。

どんなことを歌ってるのか

川端商店街(福岡市)の入口にある川上音二郎の銅像の台座に掘られたオッペケペー節の歌詞の一部

川端商店街(福岡市)の入口にある川上音二郎の銅像の台座に掘られたオッペケペー節の歌詞の一部

すでに説明している通り、誕生したきっかけは自由民権運動です。故に「オッペケペー節」では政治批判について歌われています。歌詞の一部を書き出してみましょう。

権利幸福嫌ひな人に 自由湯をば飲ましたい

オッペケペ オッペケペ

オッペケペッポーペッポッポー

固い裃(かみしも)角取れて マンテルヅボンに人力車

いきな束髪ボンネット 貴女や紳士のいでたちで

外部(うわべ)の飾りはよいけれど 政治の思想が欠亡だ

天地の眞理がわからない 心に自由の種を蒔け

オッペケペ オッペケペ

オッペケペッポーペッポッポー

詳しくはわからなくても、当時の政府を皮肉ってるのはわかりますね。

このような歌はオッペケペー節のほかに「ヤッツケロー節」「ゲンコツ節」などが存在していたようです。これらの政治批判を歌う歌は一般的に演説歌、略称で演歌と呼ばれます。

現在の「演歌」は戦後ジャズの影響を多大に受けた日本歌謡曲のあと生まれたものなので、このころの演歌(演説歌)とは同音異義語。

※これについてはまた別途で勉強してみようと思っています

実際に聞いてみよう

Youtubeに音源がアップされています。

この音源は、1900年に川上音二郎一座が欧米興行を行った際にEMIの前身であるグラモフォン・レコード社が録音したもの(『甦るオッペケペー』として1997年に東芝EMIよりリリース)で、日本人初のレコードへの吹き込みとされています。歌声は一座のメンバーのものであり、音次郎の肉声ではないのが少しだけ残念なような。

昭和の時代よりリズム感いいんじゃないか?と思っちゃうくらい朗々とリズムにのって歌い上げてます。最後の「オッペケペッポペ、ポーーイ」の言葉の放り投げ方は現代でも通用しそうですねー。

というわけで、

まとめ。

1960年代にプロテストソングが流行るよりもずっと前に生まれた政治批判ソングであり、1970年代にアメリカでラップがヒットするよりずっと前に日本で広く知られていた元祖ラップミュージック(?)でもある「オッペケペー節」。その実態は見た目はラップ、中身は演説なんですね。

個人的には「世界最古(?)のラップ」というより「世界最古(?)のプロテストソング」のほうがしっくりくる感じ。

勉強してみるまでてっきり川上音二郎の完全オリジナルと思っていたのですけど、まさか元ネタがあったとは。ルーツを辿る作業は始めると止めどきがわからなくなるので、元ネタとされる「ヘラヘラ節」についてはまた今度。。。

音二郎さん、とりあえず記事にまとめましたよ!

【関連記事】川上音二郎のお墓にお参りしてきました

 

1889年の出来事(wikipediaより抜粋)

・02月 – 大日本帝国憲法・皇室典範・衆議院議員選挙法公布

・03月 – エッフェル塔落成式

・05月 – パリ万国博覧会開催(〜10月31日)

・11月 – 歌舞伎座開場

・11月 – 最初のジュークボックスが登場(サンフランシスコ)

【参考サイト】

川上音二郎 – Wikipedia

麦酒を愛した近代日本の人々 第23回 川上音二郎

川上音二郎・貞奴とは

MEIJI TAISHO 1868-1926: ときのそのとき – オッペケペー節

オッペケペ節 : 五十雀俗謡集

演歌・歌謡曲とはなにか〜ラップとの音楽的共通性〜

大和屋の歴史|本格日本料理・和食 大和屋 大和屋三玄

大分県生まれ、熊本県育ち、福岡県在住。日曜音楽家として音楽制作、駄文筆家として本ブログの執筆を行う。そのほか、"撥弦楽器をこよなく愛するサボテン男"、"孤独のグルメごっカー"なども自称。代表曲は「マインクラフトのうた」「Paris 1920’s(『KORG M01D Super Users Official Compilation vol.1』収録)」など。

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