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【博多駅前】川上音二郎のお墓にお参りしてきました

      2016/12/05

川上音二郎の演説歌「オッペケペー節」について勉強しているのですが(その成果は後日、勉強カテゴリの記事として公開します)、その過程で彼のお墓が福岡市内に存在していることを知り、これも何かのご縁ということでご挨拶に伺ってきました。

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博多駅から承天寺へ。上のマップの通り、駅からのアクセス良好。天気もよかったので散歩がてら歩いて向かいます。

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2014年にできた博多千年門を通り抜けるとすぐに到着。博多駅前とは思えない風情を感じさせる門です。博多千年門についてはこちらに解説がありますよ。

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川上音二郎のお墓までの道はちょっとわかりづらかったので簡単に説明をば。まずは承天寺通りにある「承天禅寺」と書かれた門を潜ります。

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次に園内を少し進んで左側にあるこの門を潜り、まっすぐ進むと墓地に到着です。この門、写真のように閉じられているのですが、開けて入っていいみたいです。

遠目に見てもすぐにわかるほど大きな墓石が墓地の奥にあります。こちらがオッペケペー節を作詞した興行師・川上音二郎のお墓です。

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存在感がすごい! お参り・ご挨拶のあとで、1枚撮影させていただきました。写真の左下に写っている解説板には川上音二郎の略歴が書かれています。以下、抜粋。

・生まれは文久4(1864)年1月1日。
・生まれた所は博多:中對馬小路(現在の博多区古門戸町)。
・生まれた家は回船問屋(石炭卸販売を兼ねた船問屋)。
・22歳(1881年)の頃、当時の板垣退助率いる自由党に入党し「自由童子」と名乗り、政府攻撃の演説をし京都などで百数十回拘引される。
・明治22(1889)年:26歳の頃、京都で世相を風刺した「オッペケペー」を歌い、一躍有名になる。
・明治32(1899)年:36歳で川上一座を結成しアメリカに船出し、演劇を公演して回りイギリス、フランスに渡り演劇を続けて公演する。
・明治34(1901)年:38歳第2次ヨーロッパ公演に出かけ、13カ国を公演して回る。後に新劇の礎を築くことになり活躍した。
・明治44(1911)年11月11日48歳で大阪の帝国座舞台上で亡くなる。

オッペケペーを書いた音二郎と同い年というタイミングでオッペケペー節について調べてるのはなんだか不思議な偶然。この勉強は必ず形にします!

<2016/03/04 追記>

記事書きました!→【勉強】政治を皮肉る演説歌「オッペケペー節」

大分県生まれ、熊本県育ち、福岡県在住。日曜音楽家として音楽制作、駄文筆家として本ブログの執筆を行う。そのほか、”撥弦楽器をこよなく愛するサボテン男”、”孤独のグルメごっカー”なども自称。代表曲は「マインクラフトのうた」「Paris 1920’s(『KORG M01D Super Users Official Compilation vol.1』収録)」など。

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